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ムガル帝国における文化で特筆すべき点は、建築と絵画、ペルシャ語の詩文である。建築分野はペルシャの影響を残しつつも、インド的な要素を取り入れていった。ムガル帝国は、首都をデリー、アーグラ、ラホールと度々、移動したため、各地でイスラーム建築が建設され、インド亜大陸における建築様式に影響を与えた。
初代皇帝バーブルはアヨーディヤーにバーブリー・マスジドを建設した。また、バーブルの庭園に対する嗜好は子供たちに受け継がれ、ムガル建築の特色となった。ムガル建築が、飛躍的な発展を遂げたのは、アクバルの時代である。フマーユーン廟の建設は北インドにおける中央集権国家が確立した証左であった。さらに、新都ファテープル・シークリーの建築群は、インドを代表する赤い石を使用し、木造建築を模した石造建築というインドの伝統的な建築工法を導入した。
庭園建築は、ジャハーンギールも好んでおり、風光明媚であるカシミール地方に多くの庭園を建設した。その代表例がシュリーナガルのシャーラマール庭園である[8]。シャー・ジャハーンは、タージ・マハルの建設で名高いが、デリーの赤い城のように赤砂岩を用いた建築物も残しているが、シャー・ジャハーンの嗜好は白大理石であったようであり、皇帝の私的空間には、白大理石の建物を好んで建設した。アウラングゼーブは、ラホールにバードシャーヒー・モスクを建設した。
フマーユーンは、スール朝との抗争で、サファヴィー朝のタフマースプ1世の宮廷に身を寄せた時期があったが、その際に、フマーユーンは、ペルシャの細密画に触れる事となった。ムガル絵画の出発点は、フマーユーンがペルシャから2人の画家を連れて帰った事を出発点とする。ムガル帝国が成長するにつれ、ヒンドゥーの要素を取り入れながら、ムガル絵画は、成長を遂げていった。肖像画、動物や植物、風景、マハーバーラタやラーマーヤナといった叙事詩を題材に採用していった。